海外の地で医療を届けられるこの仕事にやりがいと喜びを感じています。

2010年より国境なき医師団の看護師として、海外の活動地で人道支援をしています。私は3期卒業生なのですが、当時は定時制で、半日働いて半日学校で勉強をしながら4年間かけて卒業をするという制度でした。先日、坂鶴にお邪魔させて頂いた時には当時と全く変わらない温かさと優しさで教員たちが出迎えて下さり感激しました。

私は坂鶴を卒業後、坂戸市や東松山市などで職場を3つほど変えながら日本では7年間の経験を積みました。その後、国境なき医師団に入るという7歳の時からの夢を叶えるため、まずは英語の学習をするためにオーストラリアに渡ったのが29歳の時です。英語を学んだあとは現地の大学を卒業し、オーストラリアの看護師の資格を得て現地で看護師として4年間働きました。

英語に自信のついた私は2010年に帰国し、36歳の時に長年追いかけてきた念願の国境なき医師団に初参加を果たしました。外科経歴の長い私は特に紛争地に派遣される事が多く、武力によって傷ついた人々への人道支援をしています。
医療とは本来は誰もが平等に受けられるべきものであるのに、何らかの理由で医療へのアクセスが絶たれている人々が世界には大勢います。私はそのような場所に出向いて医療を届けられるこの仕事にやりがいと喜びを感じています。

また日本に戻った時には、私たちの現地での活動を取材や講演を通じて伝えていくという活動も大事な任務と認識しながら行っています。著書 『紛争地の看護師』(小学館より7月6日に発売)では、看護師の目から見た紛争地に生きる一般市民の壮絶な姿や紛争地で医療をするという事はどういう事なのかという現実を、たくさんのエピソードを使って伝えています。

看護という道を選び、坂鶴で育ててもらい、そして今でも看護師を続けていられる事に感謝をしながら、これからもずっと必要とされる人の元で寄り添い続けていきたいと思っています。   写真提供 ©MSF